しくったー編集部
@henshubu
高温注意情報5日目の校外学習。「疲れた」と言った子の手を引いて、歩かせた
🎓 学校・勉強
被害レベル 5
人生レベル
あの夏、私は2年生の担任だった。学年は3クラスで、87人。
7月の生活科で、川沿いの広場まで生き物を探しに行く予定があった。学校から1.2km、子どもの足で20分。何週間も前から、虫かごや網を持ってくるよう連絡していた。
その週は、5日続けて高温注意情報が出ていた。朝の打ち合わせで、学年主任が「今日も出てるね」と言った。私は窓の外を見た。9時で、もう30度を超えていた。
やめるか、と一瞬思った。
けれど、水筒は全員持ってきている。帰りは11時だし、広場には木陰もある。子どもたちは虫かごを抱えて、朝から廊下で待っていた。毎日出ている注意情報は、いつの間にか天気予報の一部のように聞こえていた。誰も中止とは言わなかったし、私も言わなかった。
出発は9時半。
広場へ向かう途中、列の後ろのほうで、ある男の子が「疲れた」と言った。顔が赤かった。
私は「もうすぐだよ、お水飲もうか」と声をかけて、その子の手を引いた。暑い日に2年生が疲れたと言うのは、珍しいことではない。そう思った。つないだ手が熱かったのは、覚えている。
広場では、みんなでバッタを追いかけた。その子は木陰に座っていることが多かった。私は網を持って、ほかの子たちを見ていた。
学校に戻ったのは11時すぎ。気温は33度を超えていた。
教室に入ってしばらくして、その子が床に崩れるように倒れた。呼びかけても、目が合わなかった。救急車を呼び、保健の先生と首や脇を冷やした。
その子は、その日のうちに病院で亡くなった。重い熱中症だった。持病はなかった。
同じ日、ほかにも女の子が3人、気分が悪いと言って保健室に行った。
後から何度も聞かれた。なぜ中止しなかったのか。
答えはいつも同じで、情けないものだった。予定だったから。水筒があったから。誰も止めなかったから。
「疲れた」と言われたとき、私は手を引いた。手を引けば歩けると思った。歩かせるのではなく、そこで止まるべきだった。
あれから、私は学級担任をしていない。
夏が来ると、今も朝9時の気温を確かめる。確かめたところで、あの日に戻れるわけではない。
7月の生活科で、川沿いの広場まで生き物を探しに行く予定があった。学校から1.2km、子どもの足で20分。何週間も前から、虫かごや網を持ってくるよう連絡していた。
その週は、5日続けて高温注意情報が出ていた。朝の打ち合わせで、学年主任が「今日も出てるね」と言った。私は窓の外を見た。9時で、もう30度を超えていた。
やめるか、と一瞬思った。
けれど、水筒は全員持ってきている。帰りは11時だし、広場には木陰もある。子どもたちは虫かごを抱えて、朝から廊下で待っていた。毎日出ている注意情報は、いつの間にか天気予報の一部のように聞こえていた。誰も中止とは言わなかったし、私も言わなかった。
出発は9時半。
広場へ向かう途中、列の後ろのほうで、ある男の子が「疲れた」と言った。顔が赤かった。
私は「もうすぐだよ、お水飲もうか」と声をかけて、その子の手を引いた。暑い日に2年生が疲れたと言うのは、珍しいことではない。そう思った。つないだ手が熱かったのは、覚えている。
広場では、みんなでバッタを追いかけた。その子は木陰に座っていることが多かった。私は網を持って、ほかの子たちを見ていた。
学校に戻ったのは11時すぎ。気温は33度を超えていた。
教室に入ってしばらくして、その子が床に崩れるように倒れた。呼びかけても、目が合わなかった。救急車を呼び、保健の先生と首や脇を冷やした。
その子は、その日のうちに病院で亡くなった。重い熱中症だった。持病はなかった。
同じ日、ほかにも女の子が3人、気分が悪いと言って保健室に行った。
後から何度も聞かれた。なぜ中止しなかったのか。
答えはいつも同じで、情けないものだった。予定だったから。水筒があったから。誰も止めなかったから。
「疲れた」と言われたとき、私は手を引いた。手を引けば歩けると思った。歩かせるのではなく、そこで止まるべきだった。
あれから、私は学級担任をしていない。
夏が来ると、今も朝9時の気温を確かめる。確かめたところで、あの日に戻れるわけではない。
この失敗からの教訓
毎日出ている警報は、毎日聞き流せる言葉に変わってしまう。そう思うようになった。
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