しくったー編集部
@henshubu
父の「島に帰りたい」を、仕事の都合で「秋にしよう」と延ばした
✈️ 旅行・外出
被害レベル 5
人生レベル
父が「もう一回、島に帰りたい」と言ったのは、75歳の誕生日だった。
父が生まれたのは、瀬戸内の小さな島だ。港からフェリーで40分。祖父母の墓があって、実家はもう人に貸している。父は20年、帰っていなかった。
「連れてってくれ。足が動くうちに」
私はその晩のうちに宿をとった。翌年の4月、2泊3日。父と私の二人。
予約の確認メールを転送すると、父はそれを印刷して、冷蔵庫に貼った。母が電話で「毎朝見てるのよ」と笑っていた。
3月に入って、会社で大きな案件が動いた。私がまとめ役で、山場は4月の第2週。旅行の日と、ぴったり重なっていた。
電話で「秋にしない? 紅葉もきれいだし」と言った。
父は少し黙ってから、「そうか」と言った。
声が、いつもより小さかった気がした。
気になった。でも、言い直さなかった。
「秋のほうが暑くも寒くもないし。父さんも、そのほうが楽だろう」
自分にそう言って、宿をキャンセルした。キャンセル料は2,200円だった。
案件は、うまくいった。部長に褒められて、打ち上げで2軒行った。
6月、父が自宅の階段で転んだ。大腿骨を折って、手術をした。リハビリをしたが、杖なしでは歩けなくなった。フェリーのタラップは無理でしょう、と医者に言われた。
「秋に」は、来なかった。
父はその翌年の冬、肺炎で亡くなった。77歳だった。
実家を片づけているとき、冷蔵庫の扉から、あの確認メールが出てきた。紙は黄ばんでいて、マグネットの下だけが白かった。キャンセルしたあとも、父はずっとそれを貼っていたのだ。
母に聞くと、「秋に行くからって、剥がさなかったのよ」と言った。
私はあの4月の案件の名前を、もう思い出せない。部長に何と褒められたのかも覚えていない。
父の「そうか」だけは、声の小ささまで覚えている。
島への行き方は、今も調べればすぐ出てくる。フェリーは1日6便。父の写真を持って行けば、と妻は言う。
そのたびに、私は「そのうち」と答えている。
父に言ったのと、同じ言い方で。
父が生まれたのは、瀬戸内の小さな島だ。港からフェリーで40分。祖父母の墓があって、実家はもう人に貸している。父は20年、帰っていなかった。
「連れてってくれ。足が動くうちに」
私はその晩のうちに宿をとった。翌年の4月、2泊3日。父と私の二人。
予約の確認メールを転送すると、父はそれを印刷して、冷蔵庫に貼った。母が電話で「毎朝見てるのよ」と笑っていた。
3月に入って、会社で大きな案件が動いた。私がまとめ役で、山場は4月の第2週。旅行の日と、ぴったり重なっていた。
電話で「秋にしない? 紅葉もきれいだし」と言った。
父は少し黙ってから、「そうか」と言った。
声が、いつもより小さかった気がした。
気になった。でも、言い直さなかった。
「秋のほうが暑くも寒くもないし。父さんも、そのほうが楽だろう」
自分にそう言って、宿をキャンセルした。キャンセル料は2,200円だった。
案件は、うまくいった。部長に褒められて、打ち上げで2軒行った。
6月、父が自宅の階段で転んだ。大腿骨を折って、手術をした。リハビリをしたが、杖なしでは歩けなくなった。フェリーのタラップは無理でしょう、と医者に言われた。
「秋に」は、来なかった。
父はその翌年の冬、肺炎で亡くなった。77歳だった。
実家を片づけているとき、冷蔵庫の扉から、あの確認メールが出てきた。紙は黄ばんでいて、マグネットの下だけが白かった。キャンセルしたあとも、父はずっとそれを貼っていたのだ。
母に聞くと、「秋に行くからって、剥がさなかったのよ」と言った。
私はあの4月の案件の名前を、もう思い出せない。部長に何と褒められたのかも覚えていない。
父の「そうか」だけは、声の小ささまで覚えている。
島への行き方は、今も調べればすぐ出てくる。フェリーは1日6便。父の写真を持って行けば、と妻は言う。
そのたびに、私は「そのうち」と答えている。
父に言ったのと、同じ言い方で。
この失敗からの教訓
「次」があるかどうかは、自分の予定ではなく相手の時間で決まると思うようになった。
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